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サービス業とお客様

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サービス業とお客様

『ベッツワンプレス 2008冬号(Vol.17)』 掲載分

「動物病院はサービス業」と言われることについて、どのようにお感じになりますか?
飼い主様を「お客様」と認識することについてはどうでしょうか?
獣医療はサービス業なのか、飼い主様はお客様なのかという定義づけは個々のビジョンにより、
様々あるのが自然ですが、私自身は、定義づけをするよりも、
そもそも「サービス」「お客様」とは何か?について考え、どうとらえるかが、とても重要だと思います。

飼い主様との関係によるストレス
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ここ10年ほど、多くの獣医師の先生と接する機会があり、私はそのような言われ方を好まない先生も少なからずいらっしゃることを存じております。「獣医師って所詮サービス業なんですよね」「お客様は神様ですからね」等と直接聞いたこともございます。その先生が「動物病院はサービス業」を個人的に現実に認識されているのだなと思いましたが、「所詮」には何だか悲しいもの、情けないものみたいな響きがあり、相当のご努力をされて獣医師になられたのに、ご自身の職業をそのようにとらえられていることは、残念に感じたものです。

怒り、悲しみ等マイナスの感情も、選択した職業について「いつか幸せを感じる過程」においては、必要であると思っておりますが、特に残念に感じるのは、飼い主様との関わりから生じる「現実の壁」の前でストレスフルな状態から脱出できないまま、相当の努力をされて取得した資格を獣医師になってわずかの期間で「仕事」としてほとんど発揮しないまま辞めてしまわれる方も少なくないという現実です。

獣医師になるには、おそらく膨大な時間やエネルギーを必要とするのでしょうから、職業人としての達成感を一度も体験すること無しに次へ進むには、挫折感の克服というまた膨大なエネルギーが新たに必要になるかもしれません。職業を変えることも、ストレスを抱えたまま継続することも、個々の人生においては、必要な過程でしょう。ただ…もしも医療はサービス業とか、飼い主様はお客様という受け止め方を苦痛に感じるならば、また不本意であるならば、エネルギーの方向を少し変えて捉えてみるのもいいかもしれません。

お客様は神様?

「お客様は神様ですから」と言う時、たいていの方は、お客様は「神様のようにエライ」からぺこぺこしなくてはならない・・・というとらえ方をされているような気がします。どんなに傲慢な態度に出られても、迎合して頭を下げ、従うことがお金をもらうことなのだという捉え方であれば、お客様という人たちと接するサービス業は情けない職業ということになるでしょうし、お金は迎合の代償になりますので「汚いもの」・・・ のような感じ方になりえると思います。

獣医師が提供する情報には専門的に積み重ねた努力が反映されているにも関わらず、先生の獣医師歴より、飼い主歴が長いような飼い主さんとの間においては、素人の感覚的な捉え方で、思いつきで一蹴されるような反応が返ってくることもあるかもしれません。インターネット等多くのメディア、飼い主コミュニティなどから得た情報から偏った解釈をぶつけられることもあるでしょう。実際とんでもなく、理不尽なことを高圧的に言われたり、批判されたりすると、怒りにとらわれるのが自然だと思いますが、相手が「飼い主様」であるがゆえに、我慢を余儀なくされるというとらえ方であれば、怒りは抑圧されてしまいます。

まず自分自身へサービスを

「サービス」の解釈も多々あるでしょうが、行動としてとらえるなら、基本的には関わる人に「優しく親切に接する」ことだと思います。心理的に苦しい時、まずは「自分にサービスできるか」が人と接する仕事に従事していることを「幸せに感じられるようになるかどうか」の分岐点だと私は思います。苦しんでいる人にはどのような声かけをされますか? 自分が苦しんでいる時はどうでしょうか?

怒りを表さない・・・という判断は社会生活においては正解だと思います。人間関係において怒りの感情を反映させた言動が状況を好転させるということは、まずありません。特別な場合を除き、たいていの場合、人間関係に毒薬を投与するようなものだと思います。そんなことをすればよりストレスフルな状況へ変化するのは、身体と同じでしょう。

ですがここで「怒ってはいけない」とか「怒るべきではない」と即座に自然な感情を否定する声かけは自分に対して親切とは言えないでしょう。マイナスの感情は共感を得て、初めて昇華されていくものではないでしょうか。誰かがその場面を見ていて「それはお腹立ちでしょう」と声をかけてくれたらかなり救われるでしょう。だから、自分の感情に対しても「腹をたててOK 」と共感するのが優しい接し方だと思います。その後、「この状況では怒りは言動に表さない方がいいという判断」による言動を選択できれば、冷静になった時、自分の判断を総合的に前向きに評価できるのではないでしょうか。

怒りを感じることを禁止して抑圧を重ねていくことと、怒りを認めた後に、自分の判断を選択するという行動を重ねていくことは、表面上は「我慢」として同じように見えるかもしれませんが、心理的にはまったく違います。怒りの抑圧は不安を生み出すばかりですが、自分の判断を選択し続けることは不安を克服することに繋がると思います。

「お客様は神様」ならば・・・
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「神様は幸せを体験させてくれる」と私は思っています。「お客様は神様」の本来の意味を「幸せをもたらしてくれるのはお客様」と解釈しているからです。

現象は「相対的」にしか判断できません。私達飼い主が動物を見て「おかしい」と感じ、病院に連れて行くのは、健康な時の状態を認識しているからだし、獣医師が検査の数値やレントゲン写真を見て異常だと診断するのも、正常な状態を知識として持っているからです。

健康が一番実感できるのは病気が治った時・・・つまり、痛かったり、苦しかったりした直後ですね。ということは、努力や能力を評価されて「嬉しい」という感情を体験するためには認められなかったり、批判されたりした時「悔しい」と感じる体験が必要ということになります。つまり、動物病院で獣医師という職業に従事している間に、嬉しさ、遣り甲斐、充実感、達成感などを味わうには悔しい思いをさせる飼い主様が必要ということです。

仕事上の人間関係については冷静な時に自分のビジョンを打ち立てておくことがとても重要だと思います。怒りの感情がある時に、突然このような発想をすることは不可能に近いからです。ワクチンを打つように、心も健康な時、抗体となる言葉を常に自分自身でかけておけば、感情に翻弄される出来事が起こった時、より自分を苦しくするような思考に入りこんだり、怒りの発作を起こしたりすることから免れる助けになるでしょう。「怒りは感じて構わない」という自分自身へのOKは抗体となり、抗体があるからこそ、怒りを感じるような出来事が起こることにもOK が出せるようになり、ストレス耐性が強化されるように思います。

私自身は、職業人として関わる全ての人は、「お客様という神様(宗教上のという意味ではなく)」で、「神様(つまり人)は幸せを感じさせてくれるために現れる」だから、自分は多くの神様に出会える職業に就いているのだと思っています。

著者紹介

坂上緑
動物病院接客コンサルタント
坂上 緑(さかがみ みどり)
●大阪ペピイ動物看護専門学校 マナーとコミュニケーション講師
●株式会社葉月会 北摂夜間救急動物病院 顧問
●動物病院に特化した接客セミナー、講演を全国展開
【出版物】
『飼い主さんとのコミュニケーション講座』
書籍・DVD(インターズー)
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