笑顔のレッスン

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笑顔のレッスン

『ベッツワンプレス 2011秋号(Vol.28)』 掲載分

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動物病院の方に「笑顔は練習するものですか?」と聞かれたことがあります。
私の答は「はい、もちろん」です。社会生活の中で、その人の人生にたくさんのチャンスが訪れ、仕事をしていてよかったという体験がたくさんできることと望むからです。実際に笑顔にはそのような効果があるのです。笑顔のもたらす役割を知っていただけたらきっと納得されると思います。

笑顔の効果への信頼

「笑う」=「楽しい気持ちだけを表す」という理解であれば、笑う気持ちになれないのに「笑顔を作る」訓練にストレスに感じる方は少なからずいらっしゃいます。「自分の感情を偽る」ような気がするのかもしれません。でも笑顔には「不安な人を安心させる」効果があるのです。更に相手の安心は自分の不安を軽減させるものでもあります。これが「愛」が動機にある人間関係だと私は思っています。もともと笑顔が苦手な人、あるいはほとんど意識のない人達は、日常であまり笑わないので笑顔からもたらされる経験も少なくなり、笑顔の効果を実感しにくいのであろうと思われます。そういう状態では笑顔で人と接する仕事を好きになることは難しいのだろうなあと思います。

安心して人と接することの本質には、「自分への信頼」が必要です。笑顔がもたらす効果に対する信頼です。緊張する場面でも笑顔で頑張ることで、この人との関係をお互いに良いものにできるという確信があれば、その関わりにおいて意思を持って自ら笑顔を選択できます。

笑顔の訓練には自分の感情を殺し、相手に迎合するという要素は全く含まれていません。だから笑顔でいる事が「ちょっと恥ずかしい」くらいの抵抗が発生するだけであるなら、性格として受け止めればいいでしょうが、屈辱感や無力感があるなら、ちょっと深刻です。屈辱感も無力感も自覚するのは難しい方もいらっしゃるので、基本的に「楽しく感じない」のなら、そのように感じる必要はないことを理解するための情報があることをお伝えしたいと思います。この心に関するプロセスを省いてしまうと、いつも笑顔で迎合する自分が好きになれなかったり、罪悪感をおぼえたりして、笑顔を続けることが苦痛になってしまうこともあります。

多くの人が人生の中で「笑顔」によりいいフィーリングで築けた人間関係の体験を持っています。体験は多いほど、笑顔への確信は強化されます。「接客業」と呼ばれる職業に就けば、笑顔を訓練する機会がもたらされるので、体験は社会生活の中でかなりの勢いで増加し、ますます笑顔のもつ効果への確信が強化されることになります。「接客のプロ」と呼ばれる人達は目が合えば、必ず「明確な笑顔で関わる準備」を整えることができるようになります。だから「あなたと関わることを嬉しく思います」「喜んであなたを受け入れますよ」というサインを送ってくるのです。そうすることが自分の仕事を楽しくし、やり甲斐をもたらすことを数多く経験しているからです。

「笑顔が苦手・嫌い」な人達

私は25歳から教壇に立っています。自分の講義について、おそらくこれまでに2万人ほどの人から無記名のアンケートをいただきました。講義中の私の笑顔について褒めてくださるコメントはとても多いと思います。しかし「私は笑顔は嫌いです」「作り笑顔がイヤ」等というコメントも実はあります。大勢の人の前で話すということはものすごい緊張を伴います。話す時間の何十倍もの時間をかけて準備をします。その状態で笑顔をKEEPしながら話すということは、私なりの努力があります。キャリアのない頃、笑顔に対しての拒絶にはとても辛さを感じていました。

この「自分の辛さ」を克服するために、人の心の仕組みを理解するための本を一体何冊読んだでしょう。100人に受容されても一人の拒絶の方が深く心に残ります。人間は本来そのようにできているという根拠を理解できたから、私は仕事を続けて来られたと思います。「あなたの笑顔が素敵です」と褒めてくれる多くの人のプラスの言葉にフォーカスできるようになったからです。しかし、辛さを感じる体験は、人間の心理についての興味と理解を深めることもなりました。今の私は、「笑顔が嫌い」な人の「辛い体験をしましたという心のアピール」と受け止めることができます。だから私に対して本音でコメントをくださったことを感謝しています。私にならそのように伝えてもOKであると、つまり私にはその思いを受け止めるキャパあることを期待しているということの表れだと受け止めています。ここに至るまで何年かかったでしょう。20年くらいのような気がします。(笑)

つまり、このように現実には「笑顔は受け入れられない」ことがあります。辛い体験を幼少期に重ねると、概ねその後の人生に反映させてしまいます。どこかでインプットし直し、それでも笑顔がいいという確信に揺るぎがなくなった人は、本気で笑顔のレッスンに取り組めるでしょう。ですから、私は笑顔のレッスンをする時は「あなたはできていません」という個人的な指摘は決してしません。「迎合させる」笑顔の訓練をしたいとは思わないからです。

人間は生まれた時、かなり未熟な状態です。手足の筋肉が発達していないので、身体の移動ができません。犬なら、母親のそばに這って行って、乳首の周りを手で押しながらお乳をのむことができますが、人間は生まれてすぐに放置されたら、死ぬしかありません。どんな人でも「まず誰かに受容されお世話をしてもらわなければ」生きることはできないのです。受容されているという確信を築く要素として、皮膚の接触体験、視聴覚の発達後には笑顔の表情、またそのフィーリングを含んだ人の声があります。これらが頻繁に与えられないと「生命の危機」を認知し、不安を通り越して恐れにすらなります。脳がまだ発達していない時期には言語化ができないため、その体験は記憶には残りません。しかし体験した恐れは心の底にインプットされます。身体の筋肉が発達しきるのが遅い人間は、顔の小さな筋肉の動きを読み取ろうとして視覚を発達させました。だから人間は自分の存在を相手が「受容してくれているかどうか」を判断するために、まず、一生懸命に表情がもたらす情報を読みとろうとするのです。

笑顔の指導をする立場の人達

「スタッフの中に笑顔ができない人がいるけどどうしたらいいでしょうか?」という相談はとても多いです。おそらくその人は人生で特に幼少期、自分の「笑顔」に対して、受容される体験が少なかったのであろうと思われます。「笑顔で頑張ってみたけれど、受け入れてもらえなかった」という体験は心理的に最も厳しい状況をもたらします。そのような人にとって必要なことはまず「受容」です。何よりも笑顔が苦手であることを欠点としてはなりません。笑顔の自分を受容されないという経験が重なっていけば、人に笑顔で向き合うことは恐れとなってしまうからです。誰もが人間関係でトラブルがあり、「自分を好意的に受け入れていないのではないか?」と感じる相手に笑顔を向けることは難しいと思います。これを心の奥底で全ての人に感じている人の辛さはとても厳しいものだと思います。指導的立場に立った時は、自分の感覚だけで発言するのではなくて、心理学などいろんな人の状況を理解するための一般論的な情報を入手してから取り組んでいただけたらと思います。

というのは、社会人になってからでも、笑顔に対して評価されないコメントを受けそれがトラウマになってしまうこともあるからです。「『あなたの笑顔はひきつっている』『自然ではない』『にやにやじゃなくてにこにこしなさい』と言われたのですが、どうしたらいいですか?」というような質問を受けた時、私はその人を抱きしめたくなります。「自分の笑顔はよくない」と思ってしまった人は頑張って笑顔になることを躊躇してしまって当然だからです。緊張の中、引きつりながら笑顔を作ろうとした努力こそ、まず評価されなければならないと思っています。

「あなたは笑顔ができないので困るのよ」というアプローチではその人を受容したことにはなりません。表情をコントロールする訓練の目的は、全ての人が自分の価値を認識し、自信を持てるように促進することです。それがホスピタリティであり、全ての人達が仕事にやり甲斐と喜びを感じている病院から提供されるのが顧客満足です。

著者紹介

坂上緑
動物病院接客コンサルタント
坂上 緑(さかがみ みどり)
●動物病院ホスピタリティマネジメント研究会代表
●大阪ペピイ動物看護専門学校非常勤講師
●受付業務・接客応対
●動物病院に特化した接客セミナー・講演を全国展開
【出版物】
飼い主さんとのコミュニケーション講座
動物病院スタッフのジョブトレーニング講座
書籍・DVD インターズー